『学歴社会』とは、社会的な地位や収入、さらにその人の人としての評価・価値までもが、“学歴”と言う判断基準によって決められてしまう社会のことです。
現在の日本では、学歴による就職、出世、賃金の格差、結婚そして世間の見る目の格差など、社会のいたるところで学歴社会の風潮が根強く残っています。
学歴社会が誕生した背景
日本は、明治初期、近代国家を目指し、短期間で欧米列強に追い付くために、「富国強兵」のスローガンのもと、幅広い分野で活躍できる優れた人材の育成が急務となりました。
そのため、福沢諭吉が『学問のススメ』で書いているように、それまで続いてきた『士農工商』のような身分階級に縛られた社会、つまり生まれた家柄で人生が決まってしまう身分社会では優秀な人材発掘は難しく、簡単に言えば努力するかしないかで、人生が決まる社会を目指すべきだと提唱しました。
そして具体的には、東京大学を頂点とし、7つの旧帝国大学(京都大学、名古屋大学、東北大学、北海道大学、大阪大学、九州大学)を中心とした学校制度がつくられ、高学歴を身につけた者に対して、非常に高い賃金が支払われる学歴社会が誕生し、
福沢諭吉が提唱した「学歴でチャンスの多い少ないを分ける仕組み」が徐々に機能し始め、努力次第で人生が決まる、要するに「努力の結果イコール学歴」という考え方が生まれたのです。
すでに明治、大正、昭和、平成、令和と約150年間、この考え方は引き継がれ、すっかり現代の日本では学歴主義・学歴社会が社会の風潮として定着してしまい、この仕組みつまりこの価値判断は、そう簡単には変えられないものになりました。
日本の学歴社会の現状
特に学歴社会が日本の社会に浸透していったのは、第二次世界大戦後で、小学校、中学校、高等学校、大学という学校制度が整い、右肩上がりの経済成長で国民の所得が増え、教育費を払うだけの余裕が出来た事も学歴社会を後押しする大きな要因となりました。
また日本国民は、“いい会社=大企業”に入社することができれば、年功序列・終身雇用に守られ安定した社会生活が過ごせるといった”学歴による格差”を知ることになり、多くの人々が大学進学を目指すようになり、それが熾烈な受験競争を伴う“学歴信仰の社会”が生じることになったのです。つまり良き就職口を得るには、大学に進学することが必要になってしまったのです。
もちろん、大学に行かなくても、ましてや大企業に入社しなくても中小企業の就職先は多くありましたが、自ずと安定して高い給料(高収入)がもらえる“いい会社=大企業”は競争率が高くなりました。
そういった風潮の中、企業側からすると、大勢の志願者の中から自社が必要とする少数者を採用するには、どうしても採用基準を設ける必要が出てきました。それが学歴なのです。
この「良い就職口(企業)をみつけるには、大学に行くことが必然(当たり前)」で、中でも大企業に就職することは、「それだけで揺るぎのない未来を手に入れるパスポートのようなもの。」という時代の空気(暗黙のルール)は今も形を変え生き続いています。
例えば、「正社員になりたいなら、大卒、院卒などの高学歴がないと話にならない!」この最低条件は“いい会社”に限らず、多くの企業が未だに共有しています。
もちろん、必ずしも“高学歴=仕事ができる人間”ではない事を重々理解していても、手間やコストをかけずに採用するには、学歴が最も分かり易い指標なのです。
英検取得の有無、TOEICの点数での足切りなどを採用基準に設けた企業は、これも採用の手間とコストを軽くしようという学歴と同じ理屈です。
年功序列・終身雇用の崩壊が叫ばれ久しく、現在は、コロナ禍時代、そしてロシアのウクライナ侵攻など、日本を取り巻く世界情勢は不安定な時代に入り、学歴にとらわれず、個々の持つ才能で発展する社会が訪れることを願いたいものです。